いつもの黒猫
うちの近くに小さい神社があるのですが
鳥居の横にある壁の上にいつもいる黒猫
すらっとした体型で、毛並みもよく、元気そうで
ただ人が近づくとフゥー!っと威嚇はしますが
決して逃げない気の強さもありました。
先月の終わりぐらいから、目の周りの毛が抜けてきて
赤く爛れて、全体の毛並みも荒れて来ていました。
最近では壁の上ではなく、日陰の涼しい地面に座ってる
目の周りだけだった爛れも鼻の方まできて腫れ上がってたけど。
火曜日から全く見なくなった。
野良は寿命が短い、それは理解出来るし、
ある意味ではしかたない事だとしても・・・
すごく、切ないし、やり切れない、
何も出来ない自分に腹が立つし、
何かしてあげれる事を考えてる自分の傲慢さにも腹が立つし
偽善なのかと悩む。
捨てる人、拾う人、虐待する人、庇護する人
動物は言葉を持たないからこそ、人の心の奥にある
綺麗な物と汚い物を見抜き、許してくれているのではないか?
「人間は汚くズルイ生き物である、だからこそ巨大になり
巨大さゆえに足元が見えなくなる」
所詮は哲学者が言う綺麗ごとでそれを言う哲学者も人間。。。
言葉を持たない動物こそ言う権利があると思う、言葉を持った動物(人間)には
動物すべての心や行動、行く末を考える権利は本当は無いのかもしれない・・・
しかし考え行動しなくなってもいけないとも思うし・・・大切な事のような気がする
記事を書く足元で、気持ち良さそうに寝ている武内のピクピク動く耳を見ながら
いなくなった黒猫の苦悩と痛みと、自分の中の矛盾を考えた。
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コメント
野良の猫はやはり病気になってしまうと弱いですね;
ちょっと脱線してしまいますが、
猫は死ぬときに飼い主の前に姿を見せなくなるってよく聞きますよね、
あれは、弱った姿を飼い主に見せたくないからではないそうです。
猫の身体というのは不思議で、体調があまりにも悪くなると、死ぬ準備を始めてしまうんだそうです。
例えば飼い猫が病気になり、獣医さんに連れて行って、先生が「これだったらまだ治せる」と思っても猫の身体が死ぬ準備を始めてしまうと治らないそうです。
動物の中で一番生きる事に執着の無い動物が猫だとか・・・。
姿を見せなくなるのは、自分の体調に合った場所を見つけて、何とか治そうとするけれど、大体の場合、身体が死ぬ準備を始めてしまい、猫本人は動きたいのだけれど、動けれなくなってしまうそうです。
私のこの話も聞いた話ですが、獣医さんに聞いた話なので、ちょっと納得してみたり・・・。
でも私は自分が飼っている猫は、尻尾が裂けて、猫又になってもいいから、一緒に居たいって思いますよ(笑)
長くなってすみませんでした。
投稿: 若 | 2006年10月12日 (木) 19時05分
若さん>
昔お世話になった獣医さんも、猫が一番潔いと言ってました、その潔さゆえに立ち会うのが苦しいとも・・・
幸せな生涯を送りそして閉じる事が出来る子達が多いと同じ数ぐらい、それとは逆な子達もいると思うと、道で気持ち良さそうに眠っている姿を見て、時折切なくなる時があります。
投稿: 武内 | 2006年10月13日 (金) 14時37分
若さんのお話、深く頷いていました。猫という生き物は、人間に飼われても決して依存しない誇り高い生き物ですね。一生を家の中で過ごし、健康管理をしてもらう猫と、病気やケガや時には人間に迫害されながらも自力で生き抜く猫と、猫にとってはどちらがいいのでしょうか。私にはわかりませんが、やはり自分の猫達には危険な目には合わせたくないし、長く長く一緒にいたいですね。
投稿: うにたん | 2006年10月13日 (金) 15時29分
うにたんさん>
おそらく守ってくれる人と一緒に暮らす子達が幸せなのだと思います、たとえそれが人間の勝手だと言われてもやはり、命と言うものは長く健康でいられる方がいいと僕も思いますし。。
うにたんさんのブログの写真を見ると特にそれを強く感じます、飼われている猫ではなく、一緒に生活をする家族の一員って感じがすごく伝わってきますし、動物の幸せの究極の形だと思うので。
投稿: 武内 | 2006年10月13日 (金) 16時22分
はじめまして。山里さんのところから飛んできました。
我が家の初代は元ノラでした。彼は私たちの決断で命拾いをし、同年代のノラのコたちよりは長生きしました。彼に出会う以前にかわいがっていたノラは”寒くなったらウチで引き取ろうか”と思った矢先、行方不明になりました。
猫の幸せは猫にしかわからないのかもしれませんが、わからないならわからないなりに行動をすることが人間には必要なのではないかと思います。
投稿: にこまるママ | 2006年10月13日 (金) 21時55分
私の住んでいる周りは野良が多くて(どうも去勢・避妊というものが意識にないらしい?)常々そういう意識にかられて手を差し伸べたい、でもしてはいけない自分との葛藤にさいなまれます。
でもいつも主人に言われるのが「にゃん様、はーこを一生かけて愛する事。これが山里にできなければ他の猫まで世話をするなんて事できないよ。」
だから今そこにいる武内ちゃんを幸せにする事が先決なのだと思いますよ。
投稿: 山里 | 2006年10月13日 (金) 22時20分
にこまるママさん>
はじめまして、コメント有難う御座います。。
わからないなりに行動する・・大切でしかも難しい事ですよねー、でも続ける内に人間も何をすれば良いのか少しづつ、きっと分かって来るんでしょうね。何もしないと確かに何も生まれないし発見も出来ないですもんね(笑)
投稿: 武内 | 2006年10月13日 (金) 22時26分
こんばんは。皆さんの意見興味深く読ませていただきました。
私も近所のノラ猫にご飯をあげたりしていたのですがこの記事で考えさせられました。
ノラの子にご飯をあげる事で人間への恐怖や不信感がへり平気で近づいてくるようになるのはもしかしたらノラ猫には致命傷なんじゃないかと。
そのせいで心無い人に捕まり虐待を受ける子がいるかもしれない、、、。
そう考えると本当にその行為は傲慢なのかもしれませんね。
それでも私は傲慢でも偽善だとしてもやせ細った子達がいればご飯をあげます。
やっぱり人の優しさなどにふれずひっそりとお腹をすかせたまま亡くなっていくのは可哀想だと思うからです。
その時だけでも美味しい物を食べて1日だけでも長く生きていってほしいからです。
人間は傲慢で偽善者だったり、、、でも皆自分の中のそんな部分に向き合いながら一生懸命生きてるんだと思います。
人1人に何が出来るかなど考えてもたぶん答えは無いと思うので今自分が出来る精一杯の事自分の周りの子武内君などを大事にするのが1番大事だと思いますよ。
長々とすみませんでした。
投稿: miki | 2006年10月13日 (金) 22時37分
山里さん>
そうですよね、自分の手の届く範囲を幸せに大切にする事からですよね!僕の家は新宿区なのですが、繁華街が近いせいか丸々と太った野良も多いです、その逆に石を投げたり、寄って来た猫を面白半分に蹴ろうとする酔っ払いも多く、夜散歩していて、ホッとする事とクソーと思う事が同時にとても多く、いつも変な葛藤と矛盾に苛まれてました。ただ山里さんのご主人の話を聞いて心にあったわだかまりが楽になった気がします!
投稿: 武内 | 2006年10月13日 (金) 23時28分
mikiさん>僕も食べ物をすぐにあげてしまうのですが、いつもmikiさんと同じことを考えてしまいます・・そしてやはりあげてしまう理由も同じです(笑)。友人は例え偽善でも善は善で悪ではないのだから続けるべきだと言います、あー確かにそうだなぁーと、自分の中できちんと向かい合ってさえいれば、mikiさんの言うとおり自分の出来る事を精一杯やる事が先決だと分かった気がします。
投稿: 武内 | 2006年10月14日 (土) 00時01分
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投稿: Juliemvl | 2007年3月 1日 (木) 01時54分